劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer- [アニメ]

ネタバレ有りなので、未見の方はご注意ください。





意志の疎通が図れるかどうかも分からない外からの侵略者を、力により撃退する。
実に分かり易い。
それが昨今のハリウッド映画的な思考であるとすれば、ガンダム00はその逆を行く。対話だ。正体不明の相手にでさえ、あくまで相互理解を試みる。

ガンダムシリーズの重要なキーワードとして、ニュータイプという言葉がある。宇宙に進出した人類が能力を進化させ、誤解無く他者と分かり合う力を手に入れた姿。ガンダム00では、似たような概念として、イノベーターという存在が描かれる。

しかし、イノベーターは果たしてニュータイプの単なる言い換えだったのか。

おそらく、それは違う。
人の革新という超能力のようなファンタジーに可能性を見いだすのではなく、あくまで「対話」という現実的な行為による他者との相互理解を目指したのが、ガンダム00という作品だ。
ニュータイプという存在を理想として示しつつも、人間の種としての進化が、その理想の体現に必要であるとはしない。種としての進化、それがイノベーターである。だが、この作品において、イノベーターであることは、他者と理解し合うための決定的な条件ではない。
今回の劇場版で初めて登場するイノベーター、デカルト・シャーマン。彼は、旧人類を劣等種と見なし、他者と理解し合えるイノベーターの能力に目覚めながらも、対話を拒絶する。結果、彼は何ものも成すことなく、戦場の露と消える。
一方で、主人公、刹那は、対話を諦めない。イノベーターとして覚醒した自分自身に戸惑いながらも、彼を支える周囲の人間の想いを受け止め、未知の相手を理解しようと、死力を尽くし、結果、世界を救う。それは刹那の力だけではない。彼が意識を取り戻すことができたのは、フェルトの想いも含め、周囲の人間の彼への理解があったからだ。
他者と理解し合うために必要なのは、進化によってもたらされる超能力ではなく、他者を理解しようとする意志と、強い想いだけ。あくまで対話を目指す信念だけが、世界を変えうる希望になる。

互いを理解し合えれば争いがなくなるという考えは、少し楽観的に過ぎるかもしれない。
それでも、この純粋な物語を衒いもなく描けたのはアニメならではの力であり、今の時勢に、発信されたメッセージとして、凡百の反戦映画よりも説得力をもって心に響いた。
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